「なあ、みんなで旅行に行かないか?」
今から約10年前、30代も半ばを過ぎた頃。仲間うちでそんな話が持ち上がり、僕らの初めてのグループ旅行が実現した。幹事を任された僕は、少しでも思い出深いものにしようと、かなり背伸びをした計画を立てた。
行き先は、古い町並みが美しい「飛騨高山」。
10年経った今、あの旅を振り返ると、最高の思い出と共に「ああすれば良かったな」なんて、少しだけ苦笑いしてしまう記憶が蘇ってくる。
最高の旅の始まりと、最初のつまずき
僕らは群馬を出発し、高速で松本へ。そこから山道を抜けて高山を目指すルートを選んだ。旅の最初の楽しみは、信州そばでの昼食だ。少し値は張ったが、蕎麦の豊かな香りと喉ごしは、これから始まる旅への期待を膨らませるのに十分だった。
「とりあえず、ビール!」
運転をしない僕を含む数名は、旅の安全を(勝手に)祈って乾杯。運転組はソフトドリンクを頼んだ。香り高い蕎麦に舌鼓を打ち、最高のスタートを切った…はずだった。
会計を済ませ、店を出たところで仲間の一人がポツリ。
「あれ、俺のウーロン茶、結局来なかったな…」
見れば、運転組のソフトドリンクが誰一人としてテーブルに届いていなかったのだ。自分のビールが来たことで、全員の飲み物が揃っていると完全に思い込んでいた僕。プランの時間を気にしていた焦りもあって、確認をすっかり怠ってしまった。
店側のミスでもあるけれど、幹事として、仲間への配慮が足りなかった。旅の神様が「浮かれるなよ」と、そっと僕に教えてくれた最初の失敗だ。
鍾乳洞の神秘と、それを超えた一杯
気を取り直して、高山へ向かう山道を進む。夏の盛り、うだるような暑さの中、僕らが立ち寄ったのは事前に調べておいた鍾乳洞だった。
ひんやりと湿った空気が肌を撫で、神秘的な光景が広がる。自然が作り出したアートに感動したのは間違いない。だが、正直に言おう。あの時、僕の記憶に最も鮮烈に残っているのは、鍾乳洞を出た後にカラカラの喉に流し込んだ、キンキンに冷えたビールの味だった。
センチュリーがお出迎え!?庶民の感覚が麻痺した高級旅館
そして、いよいよ今夜の宿に到着する。僕が張り切って予約したのは、1フロアに2部屋しかない、全室露天風呂付きの高級旅館だ。
旅館の駐車場が見えたので電話をすると、「一度、玄関までお車でお越しください」との返答。言われるがままに車を寄せると、そこには信じられない光景が広がっていた。
玄関に、トヨタの最高級車「センチュリー」が停まっているのだ。
呆気にとられながら車を降りると、どこからか聞こえてくる勇ましい太鼓の音。なんと、僕らの到着を歓迎するパフォーマンスだった。荷物はスタッフの方が運んでくれ、僕らの車はいつの間にか駐車場へ。
「あのセンチュリーは…?」と尋ねると、「お客様のお出迎え用でございます」と涼しい顔で返された。
客の送迎にセンチュリー…? 庶民の僕の金銭感覚は、この時点で完全に麻痺し始めていた。
部屋に案内されれば、専属の仲居さんが付くという。早速、部屋の露天風呂で汗を流し、極楽気分を味わった。…僕だけは。
そう、これが二つ目の反省点。仲間の中には、大浴場が好きで部屋の露天風呂を一度も使わなかった者もいたのだ。もちろん料金は全員同額。高価なサービスが、必ずしも全員の満足に繋がるわけではない。個人の自由と言ってしまえばそれまでだが、旅の計画は、仲間の好みも考慮すべきだと学んだ瞬間だった。
飛騨の夜と、静寂を破る大合唱
高山の古い町並みを散策し、旅情に浸った後の夕食は、まさに圧巻の一言だった。通されたのは、5人で使うには広すぎる30畳ほどの個室。襖の向こうには、常に仲居さんが控えている気配がする。
オプションで頼んだ飛騨牛は、口の中でとろけるとはこのことか、と唸るほどの絶品。豪華な食事とお酒に、僕らの夜はどんどん更けていく。
旅館を出て、夜の高山の街へ。30代の男たちが吸い寄せられたのは、地元のスナックだ。12時で閉店という土地柄だったが、限られた時間の中で大いに盛り上がった。締めはラーメン。最高の夜だった。
…そう、眠りにつくまでは。
深夜1時半。僕以外の全員が、ある一つの音によって目を覚ました。
「グォォォ…ゴゴゴ…」
仲間の一人が奏でる、それはもう豪快ないびきだった。静寂を切り裂くその”大合唱”に、僕らはなすすべもなく布団を抜け出した。
「…コンビニでも行くか」
結局、いびきをかいている本人以外、全員で朝の3時過ぎまで飲み明かすことに。少し寝不足の頭で、僕らは旅の二日目を迎えたのだった。
一流の「おもてなし」と、計画通りにいかない旅の終わり
朝食の席に着くと、仲居さんから思いがけない一言があった。
「昨晩は皆様、たくさんお召し上がりでしたので、白米の他に、お粥もご用意しておりますがいかがなさいますか?」
この心遣いには、本当に驚いた。僕らの昨夜の行動が筒抜けだったことにも驚いたが、それ以上に、客の状態を察して最高のサービスを提供しようとする姿勢に、一流の「おもてなし」とは何かを教えられた気がした。
そういえば、昨日外出する時も、僕らがエレベーターでロビーに降りると、そこには人数分の靴が寸分の狂いもなく並べられていた。おそらく、どこかのカメラで僕らの動きを把握し、先回りして準備してくれているのだろう。見えない部分での細やかなサービスに、ただただ感心するばかりだった。
旅館を後にした僕らは、世界遺産の白川郷へ向かった。しかし、季節は8月の夏休みど真ん中。考えることは皆同じで、道は恐ろしいほどの渋滞に。結局、僕らは白川郷を目前にして引き返すことを決めた。
計画通りにはいかなかったけれど、それもまた旅。時間が余った僕らは、高速を使わずにのんびりと下道を走り、車窓からの景色を楽しみながら、無事に群馬へと帰り着いた。
最後に
ソフトドリンクが出てこなくても、部屋の露天風呂を使わない仲間がいても、いびきで眠れなくても、白川郷に行けなくても。
僕らの最初の旅は、間違いなく最高の旅だった。
計画通りにいかないハプニングも、今となっては笑い話だ。10年経った今でも、あの日の飛騨牛の味、仲居さんの心遣い、そして友人の豪快ないびきは、鮮明に思い出すことができる。
成功も失敗も全部ひっくるめて、仲間と過ごした時間こそが、旅一番のお土産なのかもしれない。


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